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東京地方裁判所 昭和41年(むのイ)104号 決定 1966年2月26日

被疑者 鬼塚隆文

決  定 <被疑者氏名略>

右の者に対する建造物侵入不退去被疑事件について、昭和四一年二月二六日東京地方裁判所裁判官のなした勾留および接見禁止等の請求却下の裁判に対し、同日東京検察庁検察官から適法な準抗告の申立があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

勾留請求却下の原裁判を取消す。

接見禁止等請求却下の裁判に対する準抗告の申立はこれを棄却する。

理由

本件準抗告申立の趣旨およびその理由は、検察官作成の準抗告申立書記載のとおりであるから、ここに引用する。

当裁判所取り寄せの一件記録によれば、被疑者が勾留請求書引用の司法警察員事件送致書記載の罪(建造物不退去罪)を犯したと疑うに足りる相当な理由があると認められるので、次に本件が検察官主張の如く刑事訴訟法第六〇条第一項第二号、第三号に該当する場合であるか否かにつき判断することとする。

一  罪証隠滅の虞について

被疑者は、本件においては現行犯として逮捕されており、被疑者の犯行現場における行動は逐一司法警察員が現認しているほか、大学当局の退去の要求があつたこと等についても、国分保作成の答申書等証拠は十分にあると認められる。なお被疑者は、本件被疑事実について、警察においては終始黙秘し、検察官に対しては、早稲田大学文学部構内にいたことを認めるのみであり、また裁判官に対しては、右に附加して退去要求を聞いた旨を認めたうえ共謀の事実を否認しているが、前記証拠の存在を考慮すれば、被疑者の右供述態度の変転をもつて、直ちに被疑者に罪証隠滅の虞があるとは論断できない。また検察官主張の如く、被疑者が本件において多数学生の指導的立場に立つ者の一人であつたという事実を疎明するに足りる資料は見受けられず、従つて被疑者が釈放された場合、現に逃亡中の本件指導者らと通謀して罪証の隠滅をはかる虞があることも現段階においては必ずしも認められない。

二  逃亡の虞について

被疑者が検察官及び裁判官に対し氏名、年令、身分を、また裁判官に対しては本籍をも併せ供述し、以上が一件記録中の資料に徴して真実であり、また被疑者の伯父で大学の保証人である川原正希知において、書面を提出して身柄引受を約していることは認められる。

然しながら、被疑者は、その住居について、警察においては黙秘し、検察官に対しては、当初練馬区東大泉町九四〇阿部方と述べながら、同所に持物がおいてあるかと反問されるや、直ちに右同町九五八西塚方が現住居であり寝具がおいてある旨供述を変更し、裁判官に対しては、右西塚方が住居であると述べている。ところで、一件記録および当裁判所の電話照会の結果を総合すれば、右西塚方は単なる連絡場所に過ぎず、被疑者の現住居は不詳であり、而も被疑者は、明治大学入学後、右阿部方を経て昭和四〇年一月頃から同年八月頃まで同区北大泉五一四の四六渡辺方に居住したが、その後の住居については前記川原においても全く承知しておらず、現段階においては同人の身柄引受に実効を期待することは困難であり、その他被疑者が昭和四一年一月八日頃右川原方に赴いた際にも、前記渡辺方を転出したことも告げていないばかりか、右川原に対し、現在まで真実の住居を明らかにしておらず、所用の際には明治大学自治会に連絡するよう申し向けていたこと、被疑者は、昭和三九年六月及び昭和四〇年六月の二回にわたり公安条例(昭和二五年東京都条例第四四号)違反により検挙された前歴があり、現に前記自治会幹部として活躍していること、更に被疑者が前述の如く住居をかえ、自己の現住居を率直に述べようとしていないこと等を併せ考えると、被疑者には逃亡の虞があるものと認めざるを得ない。

よつて被疑者については、刑事訴訟法第六〇条第一項第三号の理由が認められるので、本件勾留請求を却下した原裁判はこれを取消すこととするが、罪証隠滅の虞は認められないので、接見禁止等請求を却下した原裁判は正当であるから、これに対する本件準抗告の申立は理由がないものとして棄却することとし、同法第四三二条、第四二六条により、主文のとおり決定する。

(裁判官 江里口清雄 柳瀬隆次 島田仁郎)

準抗告及び裁判の執行停止申立書<省略>

別紙<省略>

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